いじめを受ける人は、弱い人?(悪のエネルギーによる作用)
カタリ派の生まれ変わりであるガーデム医師の自伝を、最近また読み返しています。
カタリ派というのは、『中世フランスに栄え、アルビジョア十字軍によって絶滅させられたキリスト教の宗派』(『偉大なる異端』の帯より)で、
翻訳された大野さんのあとがきによると、カタリ派の聖職者は、無欲で明るく、分け隔てなく人助けをしたことから、民衆から敬愛を込めて『善信者(ポン・ゾンム)、お人よし』と呼ばれたそうです。
その善の現れである集団を抹殺する側(カソリック)は、様々な脅威を感じてそのような行為に及んだのだとは思いますが、単なる歴史の史実で片付けられない問題をはらんでいると思います。
ましてや、彼らは自然を愛する非暴力的で穏やかな人たちだったのですから。
これらは、過去のことで現代には関係ないのでしょうか。そういうことならどれだけいいだろう、と思ってしまうのですが。。。
生まれ変わりの記憶があるガーダム医師は、生まれ変わりをどのようにとらえていたのでしょうか。
それは、『カルマ説と、この世に磁場のように作用する悪』の複合説を採用している、とのこと(訳者:大野さんのあとがきより)
【自らは決して悪を発散することなく、驚くべき忍耐力をもって病気や苦難を耐え忍ぶ】(ガーデム医師の著作より)
こういう人たちの中には、心霊的資質が高いため、悪のエネルギーをダイレクトに受けて(攻撃)、うつ病にかかる人もいるそうです。
私のような普通の人間でも(特に善良というわけでもないような)、どうしようもない悪意にあうこともあります。
多くの人は、そのような時に自分にも落ち度があったから。。。等、思いがちですが、明らかに相手側に問題がある場合もあると思うのです。
こういう視点もあると、、『その児童(及び学生)にそういうことを誘引させる何らかのものがあった』という単一的な見方から、いじめ加害者の問題点にも焦点が向くのではないかと思います。
『悪のエネルギーは、様々なところで作用する』わけです。
カタリ派というのは、『中世フランスに栄え、アルビジョア十字軍によって絶滅させられたキリスト教の宗派』(『偉大なる異端』の帯より)で、
翻訳された大野さんのあとがきによると、カタリ派の聖職者は、無欲で明るく、分け隔てなく人助けをしたことから、民衆から敬愛を込めて『善信者(ポン・ゾンム)、お人よし』と呼ばれたそうです。
その善の現れである集団を抹殺する側(カソリック)は、様々な脅威を感じてそのような行為に及んだのだとは思いますが、単なる歴史の史実で片付けられない問題をはらんでいると思います。
ましてや、彼らは自然を愛する非暴力的で穏やかな人たちだったのですから。
これらは、過去のことで現代には関係ないのでしょうか。そういうことならどれだけいいだろう、と思ってしまうのですが。。。
生まれ変わりの記憶があるガーダム医師は、生まれ変わりをどのようにとらえていたのでしょうか。
それは、『カルマ説と、この世に磁場のように作用する悪』の複合説を採用している、とのこと(訳者:大野さんのあとがきより)
人並外れて善良で豊かな心霊的・創造的資質を持つ人は、そうでない人に較べ、悪の襲撃を受けたり、災難にあったりしやすいとしていることである。本書には【この世には災難を呼び寄せる一族や人々が存在】し、【そのような人々にあっては内部にある肯定的創造的資質が、どうやってか彼らを悪の否定的な力や災いの方に運命的にひきずってしまう】(訳者あとがきより)
【自らは決して悪を発散することなく、驚くべき忍耐力をもって病気や苦難を耐え忍ぶ】(ガーデム医師の著作より)
こういう人たちの中には、心霊的資質が高いため、悪のエネルギーをダイレクトに受けて(攻撃)、うつ病にかかる人もいるそうです。
私のような普通の人間でも(特に善良というわけでもないような)、どうしようもない悪意にあうこともあります。
多くの人は、そのような時に自分にも落ち度があったから。。。等、思いがちですが、明らかに相手側に問題がある場合もあると思うのです。
こういう視点もあると、、『その児童(及び学生)にそういうことを誘引させる何らかのものがあった』という単一的な見方から、いじめ加害者の問題点にも焦点が向くのではないかと思います。
『悪のエネルギーは、様々なところで作用する』わけです。