対人関係で傷つくのは、どうしてなのか。
意地悪する同僚との関係、そこには傷つけられる自分がいます。
日頃、普通に接しているにもかかわらず、意地悪される。どれだけ親切にしても、丁寧に接していても、意地悪はおこるので、私はすごく傷つくわけです。
抵抗し、引きこもり、孤立する。まさにそうですね(汗)。
普通の関係が続いているので、この人との関係は良好だと思っていたところに、『意地悪』という行為でピンを突き刺すわけですね。わかりやすい例えですね。
さすがに、自分を素晴らしいとは思わないのですが(笑)、(彼女との)関係がうまくいってる、良好だ。と思っているところに、彼女は「それは違うよ!」とばかりにピンを突き刺してくる。
その度に、じぶんは傷ついているわけです。
傷つくのがイメージだとしたら、『もしそのイメージがなかったら、人はそもそも傷つくのだろうか』と対談は進んでいきます。
クリシュナムルティも、性急に言語化せずに見つめてごらんなさい。と言ってるので、そうしたいと思います。
日頃、普通に接しているにもかかわらず、意地悪される。どれだけ親切にしても、丁寧に接していても、意地悪はおこるので、私はすごく傷つくわけです。
クリシュナムルティ『生の全体性』よりK(クリシュナムルティ):あなたは、自分が傷つけられたことがあると思いますか。あるいはそう感じますか。
S:ええ。
K:そしてそれを避けたいと思いますか。抵抗し、引きこもり、孤立する━傷つけられたあなた自身のイメージが全面に広がり、そしてそれから引き込もる━あなたが傷つけられるとき、それを感じてますか。
S:ええ、感じます。━それをどう表現したらいいのか…
抵抗し、引きこもり、孤立する。まさにそうですね(汗)。
K:…あなたはあなた自身についてのイメージをもっておられる。そこへ私がやってきて、そのイメージにピンを突き刺すのです。
普通の関係が続いているので、この人との関係は良好だと思っていたところに、『意地悪』という行為でピンを突き刺すわけですね。わかりやすい例えですね。
B:人々は、イメージが自分を満足させてくれるよう望むのだと思います。
K:快楽のみを。
B:快楽だけを望むのです。しかし、まさに快楽を可能にするそのメカニズムそれ自体が、苦痛を可能にするのです。なぜなら、もし私が「自分はすばらしいと思う」といえば快楽が生じ、そしてこれが現実だと感じられ、それによって自分の素晴らしさが現実とされるのですが、しかしもし誰かがやってきて、「あなたは別にすばらしくなんかない、愚鈍だ」といえば、それもまた現実であり、そしてそれゆえ非常に深刻になるのです。
K:イメージは、快と苦の両方をもたらすのです。
さすがに、自分を素晴らしいとは思わないのですが(笑)、(彼女との)関係がうまくいってる、良好だ。と思っているところに、彼女は「それは違うよ!」とばかりにピンを突き刺してくる。
その度に、じぶんは傷ついているわけです。
K:…さて、ほとんどの人、事実上あらゆる人が、自分自身についてのイメージをもっています。傷つくのはそのイメージなのです。そしてそのイメージが『あなた』であり、そのあなたが『傷ついた』と言うのです。
傷つくのがイメージだとしたら、『もしそのイメージがなかったら、人はそもそも傷つくのだろうか』と対談は進んでいきます。
クリシュナムルティも、性急に言語化せずに見つめてごらんなさい。と言ってるので、そうしたいと思います。