今まで負ってきたあらゆる傷から自由になる
K:そこで私が確かめたいのは、こういうことです。あなたが、かなり真剣で、かなりものわかりの良い私、普通の人間である私に、その意識を空っぽにせよと要求しているとします。
S:なるほど。私はあなたに、このイメージ作りを止めろと求めているんですね。
K:イメージづくりだけではありません。あなたは私に、イメージのつくり主である<私>から自由になれと求めているのです。
こんなことを求められたら、『じゃ、どうしたらそれが出来ますか。教えてください』と、私も言うと思う。
「どうしたらよいか」とたずねるやいなや、あなたはすでに<私>を介入させてしまっている。暗黙のうちにそこに<私>が忍び込んでいるから、と討論は続きます。
k:……なので、どうしたらいいのか教えないでください。私はそれについては理解したので、二度とふたたび「いかにして」は問いません。「いかにして」は、ボーム博士が説明しれたように、暗黙のうちにそうしようと欲している<私>を含蓄しており、そして<私>はイメージづくりの要因だからです。
彼らの討論を読んでいると、普通の人とかは関係なく、こういうことに関心があるかどうか、という気がします。
k:どのようなお世辞や侮辱も脳に記録されること、しかるのちに思考がそれを記憶として引き継いで、イメージをつくりあげ、そしてそのイメージが傷つくことを私は見るのです。
これは、例の意地悪する同僚のことを思い浮かべると、彼女に対する悪いイメージを作りあげていることがわかります。
人に対してイメージをつくりあげ、そのイメージが傷つく。
k:ですから、ボーム博士、人は何をしたらいいのでしょうか。私は何をしたらいいのですか。それには二つのことが含まれています。ひとつは、これ以上傷つかないようにすること、そしてもうひとつは、これまで負ってきたあらゆる傷から自由になることです。
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