意地悪(で傷ついた自分)に対しての究極の解決方法
今の会社に転職してから、はや5年。
このブログにも書きまくっていますが、一番身近な同僚(一緒に仕事をする機会が多い人)が、意地悪をする人で、その同僚にさんざん苦しめられてきました。自分としたら、一緒に仕事をする仲間なのだから、と常に我をおさえ、理不尽な仕打ちに耐えてきた感じがします。
こういう諸々を体験している<私>がいて、その<私>が、今までの彼女とのイヤな記憶(イメージ)を、思い出している。
自分も、同僚のAさんとのあれこれを思い出すとき、<私>が見つめていると感じています。同感です。
クリシュナムルティは、<私>を現実(リアリティ)ではないと、言い切ります。
Aさんに意地悪されたあれこれ、中学生の頃のいじめ、傷ついた子供時代の思い出等、いま自分は暖かい部屋で、それを見つめています。
その見つめている<私>は、それらの傷ついた思いとは別個のものなのか。。。
これが、究極の、そして唯一の解決方法なのだと思います。
この本『生の全体性』に出合ってから、40年近くになります。
彼の言わんとしていることはわかります。そして、何をするべきかも。。。
でも、いつのまにか<私>が、意地悪を受けた相手に、腹をたてたり、怒ったりで、それらのことが際限なく続いているんですよね(汗)。
今、非二元の教えが、ひそかにブームになっているようです。
『生の全体性』より
このブログにも書きまくっていますが、一番身近な同僚(一緒に仕事をする機会が多い人)が、意地悪をする人で、その同僚にさんざん苦しめられてきました。自分としたら、一緒に仕事をする仲間なのだから、と常に我をおさえ、理不尽な仕打ちに耐えてきた感じがします。
こういう諸々を体験している<私>がいて、その<私>が、今までの彼女とのイヤな記憶(イメージ)を、思い出している。
B(デビィット・ボーム博士):普通、私が自分自身のことを考えているとき、その<私>は、思考から独立した存在です。おわかりですか?
K(クリシュナムルティ):ええ、われわれは、それは思考から独立していると考えるのです。
B:そしてその<私>は、現実の存在である観察者だ、と。
B:<私>は、現にここにいて、あたかも過去を見つめているかのように思われるのです。
自分も、同僚のAさんとのあれこれを思い出すとき、<私>が見つめていると感じています。同感です。
B:しかし、私は、本当にそこにいて、見つめているのだろうか。それが問題なのです。
S(シャインバーグ博士):見つめている<私>がですか。
K:実際にあるものかどうかです ━ このテーブルのように
クリシュナムルティは、<私>を現実(リアリティ)ではないと、言い切ります。
B:自然は、思考から独立した現実です。しかし見つめている<私>は、自然のように、思考から独立した現実でしょうか。
K:それが問題の核心です。おわかりですか。
Aさんに意地悪されたあれこれ、中学生の頃のいじめ、傷ついた子供時代の思い出等、いま自分は暖かい部屋で、それを見つめています。
その見つめている<私>は、それらの傷ついた思いとは別個のものなのか。。。
k:……もし、彼が別個なら、そのときには全過程が際限もなく続いていくことでしょう。
これが、究極の、そして唯一の解決方法なのだと思います。
(赤の部分は、つけたしました)k:そして私は、観察者(<私>)なしにイメージ(傷ついた過去、様々な思い出、相手へのイメージ)を見つめることができるでしょうか。
この本『生の全体性』に出合ってから、40年近くになります。
彼の言わんとしていることはわかります。そして、何をするべきかも。。。
でも、いつのまにか<私>が、意地悪を受けた相手に、腹をたてたり、怒ったりで、それらのことが際限なく続いているんですよね(汗)。
今、非二元の教えが、ひそかにブームになっているようです。
k:もし経験者がいなければ、経験はあるのでしょうか。そこであなたは私に、自分のイメージを見つめてみたまえと要求したわけですが、それは非常に真剣でかつ非常に洞察に富んだ要求なのです。
あなたは私に、観察者なしにそれらを見つめてみたまえ、なぜなら観察者がイメージのつくり主であり、そこでもし観察者、思考者がいなければ、思考はないからだ、と教えてくれるわけです。違いますか。ですから何のイメージもなくなるのです。
『生の全体性』より
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