クリシュナムルティの教えを、普通の人間が実践することは可能なのだろうか
<私>は思考から独立して存在しているのか、それとも(思考)そのものなんだろうか。
<私>は、あれこれ、絶え間なく考え事をしている。
でも、その<私>という存在が、その思考そのものだとしたら。
この<私>は、現実(リアリティ)なのだろうか。
今、私はこたつに入って、コーヒーを飲んでいるのですが、こたつやコーヒーカップは確かに、現実に存在していますよね。
でも、この<私>、この見つめている私は、本当に現実(リアリティ)なのかどうかと、クリシュナジーは問いかけています。
『生の全体性』は、クリシュナジー、物理学者のボーム博士、精神科医のシャインバーグ博士との対談集です。
彼は、『無意識』は本当にあるのかと、シャインバーグ医師に問いかけていて、そもそも『無意識』は、専門家が意識を分断させただけで、本当はそんなものはない。と彼は、言い切っています。
となると、少し前に書いた『ホ・オポノポノ』も、どうなの、ということになるので、
私は、ふりだしに戻ってしまったようです。
(この記事は、削除することにします)
クリシュナジーの言葉をただ引用するだけなら、簡単なのだろうけど、出来れば、自分の日常生活と絡めて、ブログに書いていきたいです。
本当に、彼の言っていることを実践することができるのか、普通に生活していて、こんな生き方ができるのか…
美しいですね♪
<私>は、あれこれ、絶え間なく考え事をしている。
でも、その<私>という存在が、その思考そのものだとしたら。
この<私>は、現実(リアリティ)なのだろうか。
今、私はこたつに入って、コーヒーを飲んでいるのですが、こたつやコーヒーカップは確かに、現実に存在していますよね。
でも、この<私>、この見つめている私は、本当に現実(リアリティ)なのかどうかと、クリシュナジーは問いかけています。
『生の全体性』は、クリシュナジー、物理学者のボーム博士、精神科医のシャインバーグ博士との対談集です。
彼は、『無意識』は本当にあるのかと、シャインバーグ医師に問いかけていて、そもそも『無意識』は、専門家が意識を分断させただけで、本当はそんなものはない。と彼は、言い切っています。
K:あぁ、これからそれに触れるところです。われわれは、意識の全構造を調べているところですね。
S:そうです。
K:意識の性質、です。われわれは、それを隠れたものと公然のものとに分割してしまったのです。そうしているのは、断片化された精神かもしれず、そしてそれゆえ両者を強固にしているのかもしれないのです。
となると、少し前に書いた『ホ・オポノポノ』も、どうなの、ということになるので、
私は、ふりだしに戻ってしまったようです。
(この記事は、削除することにします)
クリシュナジーの言葉をただ引用するだけなら、簡単なのだろうけど、出来れば、自分の日常生活と絡めて、ブログに書いていきたいです。
瞑想とは、意識の中身を空にすることである
本当に、彼の言っていることを実践することができるのか、普通に生活していて、こんな生き方ができるのか…
それを変えようとしてはいけない、それを超えようとしてはいけない、それを制御しようとしてはいけない、それから逃げようとしてはいけない。ただそれを見守ることだ、それとともに生きることだ。
あなたが、妬み深かったり、貪欲でやきもちやきだったり、性や恐怖などさまざまな問題をかかえていても、何であれ、それから逃げようとする思考の運動なしに、それとともに生きることである。
美しいですね♪
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