メガネを外す(思い込みをなくす)には、自らは外さないこと。
自分の内側を見つめることを続けていると、心の中のおしゃべりがピタッとやんで、空間(スペース)が広がっていることに気づくことがあります。
しばらくすると、何かしら考えてる自分に戻っていたりするのですが。
スペース、おしゃべり、スペース、おしゃべり。
の、繰り返しですね。
この状態で、仕事をしてると、人に対する自分の感情のゆれに、気づいたりします。
もう、気ぜわしいぐらいに、あれこれ考えているんですよね。
『前の人には挨拶してたのに、自分はスルーだった』
↓
『やっぱり、自分は好かれてないんだ』
と、よくある流れです(笑)。
この流れでいくと、『自分は好かれていない。だから、話かけるのはやめよう』という行動になりがちですが、
案外、話かけてみると、
普通に会話している自分がいて、
『あれっ、これって自分の思い込みだったんだ』ということに、気づけたりします。
おしゃべりしている自分と、それをみている自分。
心がおしゃべりしているときの自分は、テープが勝手にまわっている感じですね。
はっと気がつくと、『めちゃくちゃ考え事してたわ~』と、我にかえるというか、
気が付いた時点で、テープはとまってる感じ?
このテープがまわってる状態(心のおしゃべり)を、イコール自分だと思うと、確かにしんどい(辛いかな)だろうな、と思います。
溝口あゆかさんのブログにも書いてあったと思うのですが、楽になる生き方は確かにあると思うのです。
そう、自分のメガネでみてしまうんですよね。
自分のメガネをはずすには、『メガネをかけてる自分』と一緒にいる、いてあげる。
一緒にいる。という表現が一番、近い感じがします。
逆説的なんですが、『メガネを外すには、外す行為をとらない。』ということなんです。
わかりにくいこの説の答えは、外すのは誰なのか?ということなんだろうと思います。
もっと、わかりやすい表現があるのかもしれないですね(汗)。
しばらくすると、何かしら考えてる自分に戻っていたりするのですが。
スペース、おしゃべり、スペース、おしゃべり。
の、繰り返しですね。
この状態で、仕事をしてると、人に対する自分の感情のゆれに、気づいたりします。
もう、気ぜわしいぐらいに、あれこれ考えているんですよね。
『前の人には挨拶してたのに、自分はスルーだった』
↓
『やっぱり、自分は好かれてないんだ』
と、よくある流れです(笑)。
この流れでいくと、『自分は好かれていない。だから、話かけるのはやめよう』という行動になりがちですが、
案外、話かけてみると、
普通に会話している自分がいて、
『あれっ、これって自分の思い込みだったんだ』ということに、気づけたりします。
おしゃべりしている自分と、それをみている自分。
心がおしゃべりしているときの自分は、テープが勝手にまわっている感じですね。
はっと気がつくと、『めちゃくちゃ考え事してたわ~』と、我にかえるというか、
気が付いた時点で、テープはとまってる感じ?
このテープがまわってる状態(心のおしゃべり)を、イコール自分だと思うと、確かにしんどい(辛いかな)だろうな、と思います。
溝口あゆかさんのブログにも書いてあったと思うのですが、楽になる生き方は確かにあると思うのです。
相手が自分に何を言ったか、どんな振る舞いをしたか、相手や周囲の動向に敏感になります。そして、いちいち解釈するんです。
その解釈も自分のメガネを通しているので、彼が~~って言ったということは、私のことを考えていなからだ・・・、仕事を割り振られなかったのは、私の仕事ぶりが信頼されていなんだ・・・などとたいていネガティブになります。
自分の解釈ですが、私たちのほとんどは、それが自分の解釈というより、“実際に起きていることだ、事実だ”と思ってしまうものです。
そう、自分のメガネでみてしまうんですよね。
自分のメガネをはずすには、『メガネをかけてる自分』と一緒にいる、いてあげる。
一緒にいる。という表現が一番、近い感じがします。
逆説的なんですが、『メガネを外すには、外す行為をとらない。』ということなんです。
わかりにくいこの説の答えは、外すのは誰なのか?ということなんだろうと思います。
もっと、わかりやすい表現があるのかもしれないですね(汗)。